宮部藍梨の経歴がすごい!アメリカ留学や就活など真面目な人生設計

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女子バレーボール日本代表として活躍の宮部藍梨選手。

明るくてチームを引っ張るムードメーカーですが、どのような経歴をたどって日本代表に選ばれるようになったのでしょうか?

宮部藍梨選手の経歴についてお伝えします。

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目次

宮部藍梨選手のWikiプロフィール

名前宮部藍梨 (みやべ・あいり)
生年月日1998年7月29日
年齢24歳(2024年現在)
ポジションMB
所属ヴィクトリーナ姫路
身長181cm
最高到達点309cm
ブロックジャンプ到達点290cm
出生地兵庫県
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宮部藍梨選手の家族は?

宮部藍梨選手はお父さんがナイジェリア人、お母さんが日本人のハーフです。

兄弟は3歳年下の妹がひとり。妹の愛芽世(あめぜ)さんもバレーボール選手として活躍しており、金蘭会高等学校を卒業後に東海学を経て現在はJTマーヴェラスに所属しています。

とても仲が良く、良き理解者としてよく話をしたりするそうですよ!

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宮部藍梨選手の経歴は?

大阪・金蘭会中学・高等学校

大阪・金蘭会高1年生の時に全国高校総体、国体、全日本高校選手権(春の高校バレー)の高校3冠を達成。

翌年の高校2年生のときには16歳にして日本代表に選ばれ、ワールドグランプリ(現・ネーションズリーグ)に出場し注目されました!

でも、高校生活最後の年は怪我と腰痛に悩み残念ながらインターハイは準優勝、最後の春高バレーはベスト4に終わり挫折を味わっています。

宮部藍梨選手は周りの期待の重圧などからバレーボールを楽しく感じられなくなってしまったそうで監督に「辞めたい」と相談したことも会ったそうです。

「全国で2位はすごくいい成績だと思うけど、1位にならないと全然喜べない。そこは苦しかった」

優秀な選手であったがゆえに求められることも多くて大変だったんでしょうね。すごいプレーヤーである前に普通の女子高校生。自分を限界まで追い込んで逃げ出したくなったそうです。

神戸親和女大への進学

「人生でバレーができるのは20年くらいで、競技を終えた後も生きていかないといけない。私は米国へ行って勉強がしたかったし、違う環境にも身を置きたかった。自分のしたいことを考えて選択した進路が留学だった」

sankeisinbun

宮部藍梨さんは高校卒業後Vリーグへは進まず大学へ進学しています。

バレーボール界から注目されるプレーヤーだったにも関わらず、冷静にバレーボール選手としての将来のことも考えアメリカへの留学を志すところが偉いですね!

サウスアイダホ大へ留学

アメリカでは2年制のサウスアイダホ大へ留学。

毎朝5時に起きて学業とバレーボールを両立させ、2年生のときには2年制大学全米大会で優勝し、MVPに選ばれたそうです。

日本に留まらずアメリカでも活躍できるなんてさすがです。

ミネソタ大ツインシティー校に編入

3年生からはミネソタ大ツインシティー校に編入し、アジア・中東学科を専攻。

ミネソタ大大学院に進学

大学院ではスポーツマネジメントを専攻。

大学スポーツが盛んな国で大会運営やスポーツビジネスを研究し「絶対に勉強していてよかったと思える学問だと感じた」。とのこと。アメリカで学んだことが帰国後のプレーに活かされているんですね!

就職活動

大学院修了後、宮部藍梨選手はバレーボール選手として行きていくことに限界を感じ、就職活動をしたそうです。

海外に拠点を置く日本企業の営業職にエントリーし、オンライン面接まで受けたそうです!

でもここで転機が!怪我をした選手の代わりに試合に出ることになり、全米大学選手権では主力としてチームの8強入りに貢献しています。

日本では真鍋政義氏が同じ頃に5年ぶりに女子代表監督に復帰。宮部藍梨選手は再び日本代表に呼ばれ、真鍋氏がオーナーを務めていた姫路に入ることになったそうです。

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宮部藍梨選手Vリーグ「ヴィクトリーナ姫路」に入団

現在、宮部藍梨選手は「ヴィクトリーナ姫路」に所属するとともに日本代表の一員としてパリオリンピックに向けて試合を戦っています。

異国で多くの経験をしてきた宮部選手。精神的に学ぶところが多くあったとのことなので、一回り成長した姿を見せてくれることでしょう!

楽しみです!

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