「スーパーフライ(Superfly)」名前の由来は70年代映画?意外な事実とは!?

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「Superflyって、どんな意味?」と思ったことはありませんか?

実はこの名前、1970年代の名曲に由来しているんです。

名付けの背景には、元メンバーの多保孝一さんの深い音楽体験がありました。この記事では、その知られざる由来とエピソードをご紹介します。

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目次

スーパーフライの名前の由来は70年代の名曲だった

「スーパーフライって、なんだかかっこいい名前だけど、どういう意味なんだろう?」と思ったことはありませんか?実は私も最初は「超飛ぶ」みたいな意味かなと思っていたのですが、調べてみると全然違っていて驚きました!

スーパーフライの名前の由来は、1972年にリリースされたカーティス・メイフィールドの名曲「Superfly」から来ているんです。しかも、この楽曲は同じ年に公開された映画『スーパーフライ』のサウンドトラックとして制作されたという、とても興味深い背景があります。

「Superfly」(スーパーフライ)と名付けたのは元メンバーの多保孝一

実は、スーパーフライという名前を最初に思いついたのは、越智志帆さんではなく、元メンバーの多保孝一さんだったんです!しかも、その背景には高校時代の忘れられない感動体験があったのです。

多保孝一さんの高校時代の衝撃体験

多保孝一さんが高校時代にテレビでカーティス・メイフィールド本人が「Superfly」を歌う映像を見た時の衝撃が忘れられず、この命名にしたというエピソードがあります。

テレビで見た時の衝撃が忘れられず、この命名にした

この一言に、どれだけの感動が込められていたのでしょうか。きっと多保孝一さんは、カーティス・メイフィールドの圧倒的な歌声とパフォーマンスに心を奪われ、「いつか自分もこんな音楽をやりたい」と思ったのかもしれません。

多保孝一さんは1982年生まれなので、高校時代といえば1997年~2000年頃。その時代にカーティス・メイフィールドの映像を見るということは、きっと音楽番組の特集か、深夜番組での放送だったのかもしれませんね。

1972年の大ヒット曲 カーティス・メイフィール「Superfly」とは?

カーティス・メイフィールドの『スーパーフライ』は今から50年以上も前の1972年にアメリカで公開された映画『スーパーフライ』のサウンドトラック。

全米ビルボードチャートで1位を獲得し、4週間もの間トップに君臨しました!

このアルバムがどれほど凄いかというと:

  • 全米ポップチャートで1位を4週間キープ
  • ブラックアルバムチャートでは1位を6週間キープ
  • シングル「Freddie’s Dead」が全米4位のヒット
  • シングル「Superfly」が全米8位のヒット
  • マーヴィン・ゲイの『What’s Going On』と並ぶ1970年代ソウル・ファンクの傑作 
      カーティス・メイフィールドWikipediaスーパーフライWikipediaより

多くの人に愛され、支持されていたことがわかりますね!

この『スーパーフライ』という映画は貧困や薬物乱用などの社会問題を扱った社会的メッセージを伴った映画で、「スーパーフライ」の楽曲もコンセプト・アルバムとしても聴くことができる、とても深い内容の作品なんです。

越智志帆さんのプロフィールと出会い

そんな多保孝一さんと出会ったのが、現在のSuperflyのボーカル越智志帆さんです。越智志帆さんのプロフィールを見てみましょう。

項目詳細
本名越智志帆(おち しほ)
生年月日1984年2月25日
出身地愛媛県今治市(旧・朝倉村)
血液型A型
多保孝一さんとの年齢差わずか14日違い(同学年)

運命的な出会い
越智志帆さんと多保孝一さんは同学年で誕生日が4日違いという、まさに運命的な出会いでした!(※実際の記録では14日違いとも言われています)

愛媛県松山市でのバンド結成

2004年、ボーカルの越智志帆さんとギターの多保孝一さんにより愛媛県松山市で結成されたSuperfly。この時、すでに「Superfly」という名前は多保孝一さんの中で決まっていたのです

結成当時の状況

  • 2004年:愛媛県松山市でバンド結成
  • 2005年:東京進出、下北沢「屋根裏」でライブ
  • 2007年:「ハロー・ハロー」でメジャーデビュー
  • 2007年11月:多保孝一さんが表舞台から退く
  • 2008年:越智志帆さんのソロプロジェクトへ移行

ブルース系の楽曲を作って他のメンバーを探すも、なかなか理解が得られず、メンバーの入れ替わりが激しかったというエピソードもあります。

愛媛という地方都市で、1970年代のソウル・ファンクやブルースに根ざした音楽をやろうとする2人の情熱は、きっととても純粋で強いものだったのでしょう。

多保孝一さん脱退後ひとりになっても「スーパーフライ(Superfly)」で活動

その後、多保孝一さんは作曲やアレンジャーの仕事に専念するために表舞台から退き、Superflyは越智志帆さんのソロプロジェクトへと移行

しかし、越智志帆さんのソロになってからもバンドサウンドを表現することにこだわり続け、Superflyというバンド名を使い続けているという事実が、とても感動的ですよね。


また、越智志帆さんの楽曲にも、カーティス・メイフィールドの影響が見て取れます。「愛をこめて花束を」「Beautiful」などの楽曲には、力強いメッセージ性と、聴く人を勇気づける要素が込められていますね。


まとめ

Superflyという名前には、ただの響き以上に、音楽への憧れや情熱、そして原点への敬意が込められていました。今もその名前を背負って歌い続ける越智志帆さんの姿からは、音楽の力と真っすぐな想いが伝わってきますね。

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