「2011年3月に大災害が起こる」—22年前にそう予言し、実際に東日本大震災が発生したことで一躍注目を集めた女性漫画家、たつき諒さん。
いま、彼女が新たに発表した「2025年7月の予言」がネット上で大きな話題となっています。
しかし、予知夢云々よりも注目すべきは、70歳という年齢で漫画家として復帰を果たし、多くの人に希望を与えている彼女の生き方そのものかもしれません。
交通事故をきっかけに漫画家を目指し、一度は引退するも、偽物騒動をきっかけに表舞台へ復帰。
波乱万丈な人生を歩んできたたつき諒さんの経歴や学歴、そして気になる素顔に迫ります。
たつき諒のプロフィールと学歴・経歴を表で整理 顔写真も!

本名 | 非公開 |
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ペンネーム | たつき諒(竜樹諒) |
性別 | 女性 |
生年月日 | 1954年12月2日 |
年齢 | 70歳(2025年現在) |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
学歴 | 横浜商業高校商業科卒業 |
主な職歴 | 漫画家(1975年デビュー、1999年引退、2021年復帰) |
代表作 | 『私が見た未来』『私が見た未来 完全版』 |
その他の活動 | 医療事務、福祉住環境コーディネーターなど |

漫画家だけじゃなく、いろいろな経験をしているんだね



スピリチュアルな分野の人ではないんだ
たつき諒が注目をあびた『私が見た未来』と“予知夢”エピソードとは?


たつき諒さんの経歴で最も注目されるのが、“予知夢”をもとにした漫画『私が見た未来』です。
この作品のベースとなっているのは、1970年代からたつき諒さんがコツコツとつけ続けてきた「夢日記」。
夢日記は、単なる夢の記録にとどまらず、深層心理の分析や精神状態の理解を目的としており、当初は漫画のネタにするつもりはなかったと本人は語っています。
実際、変わった夢ばかりを見ていたわけではなく、他の人と同様に個人的な内容が大半を占めていたのです。


1999年に出版された『私が見た未来』の表紙には「大災害は2011年3月」と大きく記されていました。
この表記が、12年後に実際に起きた東日本大震災(2011年3月11日)と重なったことで、世間に大きな衝撃を与え、「予知夢だったのでは?」と話題になりました。
たつき諒さんは、夢日記の中で見た未来のビジョンを漫画化しましたが、予言者としての意識はなく、夢の内容をもとにした創作として作品を作っていたのです。


さらに、2021年7月5日には新たな予知夢を見ており、その内容は「2025年7月に日本とフィリピンの中間あたりの海底が破裂(噴火)し、南海トラフ地震をはるかに超える巨大津波が日本の太平洋側を襲う」というものでした。
この津波の高さは東日本大震災の3倍に及ぶとされ、京都タワー(131m)や牛久大仏(120m)に匹敵する高さの波が想定されています。
この予知夢は社会に大きな不安をもたらしましたが、たつき諒さん自身は「予言は備えのためのものであり、恐怖を煽るものではない」と語り、防災意識の向上につながることを願っています。
このように、『私が見た未来』は単なる予言漫画ではなく、夢日記を通じて自分自身の精神状態を分析し、未来への備えを促すメッセージが込められています。
たつき諒さんの予知夢は、科学的根拠に基づくものではありませんが、災害に対する意識を高めるきっかけとして、多くの人々の心に響いているのです。
たつき諒が味わった“50万円のプレミア本”と“なりすまし事件”ってなに?


『私が見た未来』は、2011年以降に“予知本”として注目され、絶版となった本には10万円以上、時には50万円もの値がつきました。
さらに、たつき諒さんの名を騙る“なりすまし”がSNSで出現し、勝手に予言を発表する事件も発生。
これを受けてたつき諒さん本人が名乗り出て、2022年に「私が見た未来 完全版」を発刊。わずか1か月半で40万部を突破するベストセラーとなりました。
たつき諒 70歳で再ブレイク!彼女が伝えたいこととは?


たつき諒さんは70歳で再び脚光を浴び、人生の“やり直し”や“挑戦”に年齢は関係ないことを体現しています。
夢日記や予知夢は「不安」や「驚き」だけでなく、「備え」や「安心」につながるメッセージを発信。
大災害のあとには「輝かしい未来が待っている」と語り、多くの人に希望と共感を与えています。
まとめ
今回は、話題の「たつき諒」さんについて、経歴・学歴・顔写真などの基本情報から、予知夢エピソード、そして70歳での復帰劇まで詳しくご紹介しました。
予知夢については科学的根拠はありません。2025年7月の予言についても、エンターテイメントとして楽しみつつ、この機会に家族と防災について話し合ってみるのも良いかもしれませんね。