【虎に翼】優三が戦病死!優三のモデル和田芳夫さんはどうだった?

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【虎に翼】5月28日放送で優三が死亡していたという衝撃の事実が発覚しました。

出征から終戦まで短かったので「もしかしたら優三さんは生きて帰ってきてくれるかも!」と期待していたのですが、残念です。

優三さんの死亡理由は「戦病死」。優三さんのモデルである和田芳夫さんはどのようにお亡くなりになったのでしょうか。

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優三さんの「死亡告知書」発見!死亡理由は「戦病死」

終戦から1年が過ぎても消息不明の優三さん。

そのうちひょっこり帰ってきて、あの人懐こい笑顔で「ただいま」って笑いかけてくれるのではないかと期待していたのですが、戦争が終わった翌年10月に寅子が見つけたのは父・直言が隠し持っていた優三さんの「死亡告知書」でした。

「死亡告知書」には優三さんが『昭和21年4月25日に遼寧省方面に於いて戦病死した』と記載。「死亡告知書」作成日は昭和21年4月30日でした。

死亡日は昭和21年4月25日

太平洋戦争が終結したのが昭和20年の8月なので、優三さんは戦争が終わってから半年以上も生きていたという事になりますね。

優三さんが亡くなった場所は『遼寧省(りょうねいしょう)方面』

遼寧省(りょうねいしょう)は中国の北東部に位置する都市で北朝鮮とも隣接しています。

遼寧省は旧満州国の一部で、現地にいた軍隊は、終戦後ソ連軍に降伏して、多くの人がシベリアなどに抑留され、過酷な環境で酷使されて多くの死者がでました。

優三さんは遼寧省で戦病死とのことなので 終戦後、中国の葫蘆島日本人収容所(旧満州)に送られそこで病死したと考えられます。

終戦から優三さんが死亡するまで半年以上ありましたが、旧満州から戦後の引き揚げが本格化したのは昭和21年夏ごろからだったそうで、優三さんと寅子の再開は残念ながら叶わなかったのですね。

でも銃弾に倒れたわけではないので寅ちゃんが心を込めて作ったお守りは効いていたのですね!

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優三のモデル和田芳夫さんはどうだった?

優三さんのモデルになっているのは寅子のモデルとなっている三淵嘉子さんの最初の夫(嘉子さんは二度ご結婚されています)である和田芳夫さんです。

芳夫さんは優三さんと同じように嘉子さんの実家である武藤家に住み込みで暮らしていた書生さんでした。

嘉子さんとは嘉子さんが28歳のときに結婚し、戦争に行くまで長男と一緒に三人で幸せに暮らしていたそうです。

芳夫さんは肋膜炎という持病があったため、1回目に召集令状が届いたときには徴兵を免除されたそうですが、戦争も大詰めとなる昭和20年に再び召集令状が届き徴兵されたそうです。

その後中国に送られましたが病状が悪化し病院で療養。8月に終戦を迎え芳夫さんは昭和21年に日本へ引き揚げてきましたが、病状が思わしくなく、芳夫さんは長崎の病院でお亡くなりになったそうです。

太平洋戦争末期には病気の人や高齢者などなりふり構わず戦地に送られ、多くの貴重な命が犠牲になったのですね。

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まとめ

「虎に翼」では優三さんに続き寅子のお父さんである直言さんも亡くなるなど悲しい放送が続いていますが、戦争がいかに人を不幸にするものであるかを改めて実感しました。

優三さんを画面で見られないのはさみしいですが、このあと「虎に翼」ドラマが明るい展開になっていくことを期待しています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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