2024年西武ライオンズから戦力外通告を受けてしまった伊藤翔選手。
肘の手術を受けてから思うような結果が出せず苦しんできましたが、戦力外通告を受けてからも自身のインスタで「自分が納得して諦めがつくまで野球を続けたい」と前向きなコメントを発表しています。
そんな伊藤翔選手はいつから野球を始め、高校はどこなのでしょうか?
このサイトでは伊藤翔選手の小学校から高校までの学歴や子供の頃に所属した野球チームについてお伝えします。
伊藤翔選手が通っていた小学校は?
伊藤翔選手が通っていた小学校は千葉県の匝瑳(そうさ)市立栄小学校です。
小学校一年生の時に軟式の千潮スポーツ少年団で野球を始めました。
小さいときから野球に親しみ、小さなボールを追いかけていたんですね。
地域の少年野球出身のプロ野球選手が多いことから、野球が盛んな地域で育ったことが分かります。
伊藤翔選手が通っていた中学校は?
伊藤翔選手が通っていたのは千葉県の匝瑳市立野栄中学校です。
中学校時代に所属していたのは九十九リトルシニアというチームで、伊藤選手は中学生時代捕手を除く全ポジション経験を持つマルチプレイヤーだったそうです。
その経験がのちにピッチャーとして配球を決める際に多くの判断材料を得るいい経験になったのかもしれませんね。
この「九十九リトルシニア」(千葉)でプレーした中学時代に、ライバルチームのスター選手だったのが楽天の藤平尚真投手。
藤平選手は中学卒業後横浜高校に進み甲子園に出場。その後はドラフト一位で楽天に入団するなど順調に野球人生をあゆみ、伊藤選手は常に「早く追いついて肩を並べたい」と頑張ってきたそうです。
ライバルの存在は自分を奮い立たせる大事な存在ですね。
伊藤翔選手が通っていた高校は?
伊藤翔選手が通っていたのは千葉県山武郡にある横芝敬愛高校です。
横芝敬愛高校には約2万坪の校地があり、野球場、陸上競技場、サッカー競技場、庭球コート、ダートコースなどの設備が充実しています。
野球部は活動が盛んで、OBには大塚晶文選手、高木晃次選手、中島克介選手、小林茂生選手、鎌田光津希選手、行木俊選手らがいます。
伊藤選手は高校進学後に頭角を現し始め、高校2年生の夏までに140キロ、3年生の春に143キロと球速を伸ばすと3年生の6月には147キロをたたきだしました。
最終学年の公式戦ではあまり勝てませんでしたが、伊藤選手は素質の良さを買われ、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスにドラフト1位指名されています。
徳島インディゴソックスに所属時代の伊藤翔選手
徳島インディゴソックスにドラフト1位で入団した伊藤翔投手は、最速152キロの右腕として多くのメディアに取り上げられるなど活躍を見せました。
伊藤選手の魅力は回転を伴ったストレートだけでなく、縦方向に切れるスライダーフォークやツーシームなど精度の高い変化球も併せ持つところです。入団後のリーグ最終成績は16試合登板で8勝4敗。103回を投げて97奪三振・防御率2.18の3部門はすべてリーグトップ3の数値を残しました。
結果としてわずか1年後の2017年度にはNPBドラフトにおいて埼玉西武ライオンズから3巡目指名されることになりました。
まとめ
今回は伊藤翔選手についてお伝えしてきました。
小さい頃からひたむきに野球に取り組んできたことが分かり、さらに応援したくなりました。
これからもご家族のためにも現役でプレーできるといいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。